代表者の横顔

小泉 幼少期
弊社代表の小泉秀昭は、1968年、神奈川県川崎市に生まれました。
当時の川崎市は、高度成長期の日本の縮図のような地域であり、多くの会社、特に工場が集中しており、生まれてすぐ体に異変が起き、公害(小児喘息)認定患者に。長い闘病生活が始まったそうです。

喘息だけでなく、酷いアレルギー反応を起こす物質が10数種類もあり、減感作療法という体に免疫力をつけていく辛い治療は、小学2年から中学3年の終わりまで。
子供の頃の夢は医者。
「病気で苦しむ世の中の人たちを助けたい!」そう思っていたそうです。

小泉32歳
医学への道に進むことは出来ませんでしたが、『人の役に立ちたい』という気持ちから住宅メーカーへ就職をしたそうです。
沢山のお客様に恵まれ、充実の日々を送っておりましたが、持ち前の営業力が評価され、数年後には、年間約300棟におよぶエリアを統括する責任者にまで成長します。その頃の主な業務は、社員教育、事業計画管理(着工・集金)、そして重大クレームの対応。いかに会社数字を上げるか、いかにクレームを最小限に抑えるかが評価の基準だったそうです。「自分は、本当に人の役に立っているのか?」
そんな疑問を持つようになってきた時、あの東日本大震災が起こったそうです。
日本中が恐怖に慄くなか、家族を残して仕事を優先した自らの行動に違和感を持つようになり、長年努めた住宅の仕事を辞める事にしたそうです。
仕事風景
震災から4ヵ月後、同じ志を持った部下2人と不動産業を開業。
住宅とは一線を画し、シンプルにお客様に喜んでいただく仕事に喜びを感じていました。
不動産業を始め、3年が経とうとしていた時、シックハウスに悩むお客様が土地探しに訪れました。中古住宅を賃貸で転々としていたそのお客様は、初めて 「自分たちの家が欲しい!」という強い思いで弊社に相談をなされたそうです。シックハウスに悩む人でも安心して住める家を!
一緒に探すことになり、そうして見つけたのが「無添加住宅」でした。 
今までの認識を根本から覆され、改めて無添加住宅の勉強を続けたいと強く思ったそうです。
弊社の「ものづくり」には、弊社代表の幼少期の体験が根底にあり、いかに「人の役に立っているのか?」が大きなテーマなのです。

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